哀れな丹羽長秀の三男「藤堂高吉」 – 100万石大名の実子・養嗣子からの転落

 

戦国時代の武将の中でも「ここまで哀れな武将も少ないのではないか?」と思えるのが、藤堂高吉です。

藤堂高虎の養子で、2万石を擁し名張藤堂家の祖と言われています。

藤堂高吉は、藤堂高虎の養子ながら、藤堂高虎・藤堂高次の親子の「家臣」です。

藤堂高吉が「家臣」となるまでは、波乱万丈、自身では何ともしがたい転落人生がありました。

藤堂高吉の実父は丹羽長秀

藤堂高吉は、丹羽長秀の三男です。

丹羽長秀と言えば、佐久間信盛の失脚には織田信長の次席家老となり、清洲会議では羽柴秀吉に付き賤ヶ岳の戦いの後には約123万石の超有力大名となりました。

ただし、1583年に死去し、長秀の後を継いだ長男・丹羽長重は秀吉に領地を召し上げられ続け一時は4万石の小大名まで没落しましたが、小田原征伐の後は12万石まで回復しています。(それでも相続した123万石の1/10ですが・・・)

つまり、藤堂高吉の実父・丹羽長秀は100万石大名であり、兄・丹羽長重は12万石の大名です。

藤堂高吉の最初の養父は羽柴秀長(豊臣秀長)

大大名である丹羽長秀の三男・高吉は、当初、羽柴秀吉(豊臣秀吉)と丹羽長秀の関係を強固にするため、秀吉の実弟で子どものいなかった羽柴秀長(豊臣秀長)の養子となり、秀長の跡取りとなる予定でした。

これが1582年のことです。(高吉は、まだ仙丸と呼ばれ若干3歳です)

羽柴秀長は、当時、播磨と但馬を領していたと言われていますので、石高としては約40万〜50万石程度です。

その跡継ぎとして高吉は羽柴秀長の養子に迎えられます。

さらに1585年には秀長の所領は紀伊や和泉にまで広がり約64万石となり、さらに同年、四国攻めの功績から大和国も所領となり100万石大名となります。

この時点で高吉は100万石大名の養子です。

豊臣秀長の家臣・藤堂高虎の養子となる

100万石大名だった丹羽長秀の三男で、天下人豊臣秀吉の実弟であり100万石大名の豊臣秀長の跡取りとなる予定の養子。

誰もが羨む貴公子だった高吉の転落人生が始まります。

1588年、秀吉が突如、自身の甥っ子である豊臣秀保(豊臣秀次の弟)を秀長の跡継ぎにねじ込みます。

哀れ、高吉は豊臣秀長の跡取りから弾き飛ばされたのです!

この時期には実父・丹羽長秀も亡くなっており、丹羽家との関係性強化の重要性は急落していたのでしょう。

そんな高吉を哀れんで(?)自身の養子に迎え入れたのが藤堂高虎です。

当時、藤堂高虎は豊臣秀長の家臣で1587年には2万石を与えられており、正五位下・佐渡守にも任じられています。

自身に実子がいなかった藤堂高虎が主君の跡取りだったはずの養子を自身の養子に迎え入れ、高吉は従五位下・宮内少輔に任じられます。

天下の豊臣家の100万石大名・豊臣秀長の跡取りから、その家臣(2万石)の養子へ急降下です。

藤堂高虎の目論見は?

当時の藤堂高虎の目論見は何だったのでしょうか?

1)主君・豊臣秀長への気遣い
2)(事実上改易されたとは言え)高吉の兄・丹羽長重(12万石)との人脈作り
でしょうか。

藤堂高吉の実母は、豊臣秀長の重臣・杉若無心の娘でしたので、豊臣秀長家中での存在感も強められたかもしれません。

丹羽長重の実母は織田信広の娘(織田信長の姪)で、織田一門との関係もあります。秀長の家臣で2万石の身上としては、丹羽家に恩を売れるのは悪い話ではなかったのではないでしょうか。

藤堂高虎の養嗣子になり損ねる・・・

当初、藤堂高虎には実子がいなかったため、藤堂高吉が養嗣子となって跡を継ぐ予定でした。

藤堂高虎は関ヶ原の戦いの功績で今治20万石を領していましたので、100万石大名の跡取りからは転落したものの、紆余曲折を経ながら20万石の大名家を継ぐ予定でした。

また、関ヶ原の戦いの時点で藤堂高吉は自身でも2万石を領していました。

しかし、1601年になって高虎に実子・高次が生まれると、藤堂家の跡取りは高次となります。

結果、藤堂高吉は、藤堂家の養嗣子ではなく藤堂家の「家臣」になります。

哀れ、藤堂高吉。

実父は120万石大名の丹羽長秀、養父は100万石大名の豊臣秀長、次の養父は20万石大名の藤堂高虎、それが藤堂家の「家臣」へ転落です。

藤堂高吉のその後

藤堂高吉は、藤堂家の養子だった経緯からも、高虎や高次に疎んじられ・警戒されていたと言われています。

名張藤堂家の祖と言われますが、2万石の内、5,000石を次男以下3人に分知させられ、事実上1.5万石へ力を削がれます。

その後、高吉の死後も名張藤堂家と藤堂本家との確執は続き、1734年(享保19年)、藤堂長熙が高吉の実家である丹羽氏を通して幕府に独立を働きかけたり、重臣が幕府との交渉のため江戸に向かう事態となります。

翌年には本家に知られてしまい、3人の家臣が責任取って切腹、藤堂長熙は隠居、さらに本家から横目付が派遣される事となります。(享保騒動、名張騒動)

名張藤堂家の処遇からも、藤堂高虎・藤堂高次と続く、藤堂本家から疎んじられていたことが伺えます。

振り回され続けた藤堂高吉

上述の通り、藤堂高吉は
・羽柴秀吉と丹羽長秀の関係強化のために羽柴秀長の養子となり
・丹羽長秀が死ぬと豊臣秀長の養子から弾き飛ばされ
・藤堂高虎の養子となるも高虎に実子が生まれると跡継ぎから外されて「家臣」にされて疎まれる
という振り回され続けた転落人生を辿りました。

もちろん、丹羽長秀の三男で、3歳で秀長の養子となるなど、スタートが良過ぎるものの、外的要因によってそこから藤堂家の家臣に収まるとは・・・

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