黒田長政と後藤又兵衛の確執は、、、? -「軍師官兵衛」最終話

 

本日、大河ドラマ「軍師官兵衛」の最終話が放送されました。

全く本筋ではないものの、どうしても気になったのが、黒田長政と後藤又兵衛の確執についての描写不足。適当にも程がある!

確かに、ことあるごとに又兵衛は官兵衛寄りの発言をして長政をたしなめるような発言をしてきていて、確執が生まれる伏線は張り続けられていたものの、一番ネタとして面白い朝鮮戦役での事件もなし。

あの時の肩すかしっぷり、、、え、それを描かずに最後、どうすんの?!と心配してました。

結果、案の定、何故か又兵衛は黒田家から出奔して大阪の陣で豊臣方の将として討ち死に。

又兵衛が黒田家を出奔してから、元々の功績と武勇で諸大名(細川家、前田家、池田家、福島家など)から引っ張りだこだったにも関わらず、長政が「奉公構」を講じたために浪人生活を余儀なくされた結果、その果てが大阪夏の陣。

「奉公構」とは、Wikipediaから引用すると以下の通りとなります。

大名が、出奔した家臣又は改易した者について、他家が召抱えないように釘を刺す回状を出すことをいう。「仕官御構」(しかんおかまい)などと表現される。これによって他家への再仕官が出来なくなり、その土地から追放される。武士階級において切腹につぐ重刑である。

要は、長政が全国の諸大名に対して「又兵衛を召し抱えるな!」と通告したわけです。

それほどまでに、長政は又兵衛に対して悪意を抱いていたと言えます。

それをこんな簡単な展開で描くとは何事か?!というわけです。

また、同じくどのように描くのか気になっていた関ヶ原の戦い後、家康が長政の右手を取って感謝を述べたという話を長政が官兵衛に報告した際、官兵衛が長政に「その時、お前の左手は何をしていた」と言う有名なエピソード。(=その時、長政が左手で家康を刺していれば、天下は官兵衛のものだったのに、という官兵衛の嫌み)

これもまあ、何とも言えぬ描写に終わりました。余りにも有名な逸話であり、官兵衛が九州平定へ動いていた流れからも入れざるを得なかったシーンなのでしょうが、決まりが悪い!「で?」と言いたいシーンになってました。

この手の美談にするのが難しい逸話の描写を適当に誤摩化すのは大河ドラマの常であり、これが特別ではないとは言え、です。(「利家とまつ」での、賤ヶ岳の戦いにおける前田利家の裏切りなど)

そんな最終回でした。

とは言え、「功名が辻」における山内一豊の土佐入り以来です、こんなに最終話がお茶を濁す展開は。(山内一豊の土佐入りの影響で、土佐藩では上士と下士の対立が生まれ、明治維新では坂本龍馬や土佐勤王党の活動に繋がっていくわけです)

話がずれましたが、そんな最終回でした。

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